親との関係に悩んでいる方へ|親の見方が変わった仏教の「親の大恩」とは

こんにちは。小野ひかりです。

仏教を学んで、自分が変わったなと感じるのは、親との関係です。

仏教では親からいただいている恩を10つに分けて、教えられています。

『為造悪業の恩』という、海よりも深い親の恩とは

お釈迦さまが『父母恩重経』に説かれた親の大恩十種の一つに『為造悪業(いぞうあくごう)の恩』があります。

「もしそれ子のために、やむを得ざる事あらば、自ら悪業を造りて、悪趣に堕つることを甘んず」

“親は子供のためならば、ひどい目に遭うと分かっていても、悪業を造ってしまう”と教えられたものです。

悪い種をまくと悪い結果が自分にひき起こるのだから、悪い行いをしないよう努めなさい、と勧められたのがお釈迦様です。

ところがそんなお釈迦様が、子供かわいさのあまり、汚いことや浅ましいことをしてしまう親の行いを、子供にとっては親から受けた大恩の一つだよ、と説かれているのです。

お釈迦様は悪い行為を容認されたのではなく、自業自得で悪い結果を受けるとわかっていても「子供のためなら」と、自らの保身を省みない親の心に感謝しなければなりませんよ、と仰ったのです。

『レ・ミゼラブル』という映画をご存知の方は多いと思います。

アン・ハサウェイの壮絶な演技が話題になりましたが、幼い娘のために売春

婦に身を落とすフォンテーヌという女性の役でした。

彼女は過酷の環境の中にあって心身ともに衰弱し、主人公であるジャン・バルジャンに「娘を頼む」と言い残して死んでしまいます。

そのジャンバルジャンもまた、飢える子供のためにパンを盗み、収監されますが、子供のことが心配で何度も脱走を企て、ついには19年間の監獄生活を送ることになった人でした。

子供がいなければ、ジャンバルジャンも投獄されることもなかったでしょうし、フォンテーヌも売春婦になることもなかったでしょう。

我が身がどんな苦しくみじめで辱めを受けようが、子供のためと思えば甘んじて受ける、海よりも深い親の恩を『為造悪業の恩』と説かれているのです。

『まんが日本昔ばなし』に見る為造悪業の恩

『まんが日本昔ばなし』にもこんな話があります。

ある時、娘が重い病にかかり「おっ父、小豆まんまが食べてぇ」とねだる。

娘の願いを何とかかなえてやりたいと思い詰めた父親は、地主の蔵からわずかな米と小豆を盗み出し、娘に小豆まんまを食べさせた。

娘はとても喜んで、病気も回復に向かった。

小豆まんまの美味しさが忘れられず、手毬歌で歌っていたところ、村人が、あの貧乏な家に小豆やコメがあるはずがねえ、と勘繰るところとなり、盗みが村人に知られてしまった。

父親は刑罰で殺されてしまい、その後、娘は歌うことはおろか、声を発することもやめてしまう、という悲しいストーリーでした。

娘は、自分が歌なんか歌わなければ、小豆まんまが食べたいなんて言わなければ、と悔やんで悔やんで、喋ることを止めてしまったのでしょうね。

父親はどうだったでしょう。

捕まった時に、こんなことなら盗みなんかするんじゃなかった、と悔やんだろうか。

小豆まんまを喜んで快復していった子供ことを思えば、悔いはなかったかもしれない。

いずれにしても、自分が死んだ後の、子の行く末を案じていたことだけは間違いありません。

豊臣秀吉に見る為造悪業の恩

豊臣秀吉は晩年、我が子秀頼を溺愛し、そのために己の後継ぎと自分で決めていた甥の秀次が邪魔になり、家族、側室とも殺します。

また戦国大名たちに誓書を何度も書かせ、秀頼に忠誠を誓わせますが、戦乱の世で我が子を戦で失ったり、人質に預け殺されたり、切腹させられたり、と修羅場をくぐってきた戦国武将たちは、そんな秀吉の身勝手な執着を、醜く感じたでしょうし、腹立たしくも思ったことでしょう。

あれだけ人心収攬(じんしんしゅうらん)に長けた秀吉でしたが、そんな武将の気持ちさえも気遣えなくなっていた晩年の振舞は、老いからくるものだったか、子への執着が秀吉の智恵を曇らせたのか。

「人の親の心はやみにあらねども 子を思う道にまどいぬるかな」(藤原兼輔)

“子をもつ親の心は分別がないわけではないが、子供のことを思うと、闇夜の道に迷うように思い迷ってしまう……”

現今のニュースにも似たようなことはどこにでもあります。

官僚がわが子を医大に合格させるために職権乱用したり、母親が息子の借金返済のために職場の金を横領したりする事件もあります。

決して許されないことですが、子供を案じるあまり正常な判断力を失ってしまうのが、古今変わらぬ親の姿なのかもしれません。

子供にとってこの親の姿は『為造悪業の恩』です。

親になって知る為造悪業の恩

以前、仏教のお話を一緒に聞いていた女性が、親の大恩について感想を言われていたことが、とても強く心に残っています。

親から受けた恩の数々、自分が子供を持つ身となって聞かせていただくと、身に沁みます。

中でも『為造悪業の恩』という親の恩があることを教えていただき、涙が出てきました。

母は私を育てるためにどれだけ心の中で罪を作り、一人苦しんできたのだろう、と思うのです。

母は父に対するうらみつらみを、長女の私に愚痴ることがよくありました。

時に我慢ならなくなって「そんなに嫌なら別れればいいじゃん!」と言い放ったものです。

そんな私も今では一児の母となり、夫とうまくいかず悩んだ時に考えたのは、子供のことでした。

自分のことは後回しなんですよね、そんな時は。

子供のことを考えれば離婚はできません。

今ではあの時の母親の気持ちが痛いほどわかります。

ずっと母親に冷たく当たっていた自分を悔やんでます。

今からでも、少しでも孝行したいと思います。

親は子供を育てるために、その生涯でどれだけ思ってはならないことを思い、言ってはならないことを言い、やってはならないことをしてしまうものなのでしょう。

『為造悪業の恩』が身に沁みます。

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