こんにちは。小野ひかりです。
スマホなどのゲームをやり過ぎで日常生活に支障をきたすゲーム依存症が国際的な精神疾患の一つとして認められました。
インターネット一つで情報収集・通信・買い物など便利な社会となりましたが、精神の病巣にもなっているようです。
今回は情報社会を幸せに生きる上で、必要な力とは何かを考えてみます。
戦争が恐ろしいのは化学兵器ではなく…
トランプ大統領がヒラリーと大統領選を戦っていたときのこと
氏の支援演説した著名人が、広島、長崎への原爆投下を指示したトルーマン元大統領を
「原爆を日本に落とすガッツがあった」と称賛、
それを受けてトランプ氏も「同じ決断をするだろう」と話したところ、会場が喝采(かっさい)する場面がありました。
(さすがに大統領になってからは、あれほどの過激発言は自粛気味のようですが)
ひんしゅく買うどころか、喝采なのか、と驚きましたし、怖ろしいなと感じました。
アメリカ人への面接調査では、日本への原爆投下は正しかったと答えた人は46%。
正しかった理由は「戦争を早く終わらせることができた」と答えています。
このデータも恐ろしく思います。
“平和が大嫌い”と言っている者が、戦争を始めるのではありません。
世界の歴史を見ると、平和を強く叫んでいた者が、戦争を起こしています。
戦争を始める人の決まった言い分は「平和を守るため」です。
フリッツ・フーバーという科学者
第一次世界大戦で毒ガスを開発した科学者で、今日、化学兵器の父といわれます。
毒ガスが人道的に問題があると国際的な非難を浴びた際、
「毒ガスの使用で、戦争を早く終わらせることができれば、多くの人命を救える」と反論しました。
アインシュタインは「君は天才的な頭脳を間違った方向に使っている」と諫め、フーバーの妻クララも夫が毒ガス兵器の開発に携わることに反対し続け、ついに抗議のために自殺しましたが、それでも毒ガス研究を続けました。
今後もフーバーのような人は現れるでしょう。
人類の生存を脅かす怖ろしい兵器を開発する者たちの中で
「戦争を早く終わらせることができれば、多くの人命を救える」と主張する者です。
情報社会に求められるのは知識量よりも智慧
以前、高校生クイズ選手権決勝をテレビで見たのですが、そのレベルが尋常じゃないのです。
「スリランカの首都はどこ?」
「スリジャヤワルダナプラコッテ!」
ピンポン正解。
「古事記で天岩戸に隠れた天照に舞を舞った登場人物の名前は?」
「あめのうずめのかみ!」
ピンポン正解。
・・・こんな感じ。
この高校生たち、何を食べてこんなに知識あるのでしょう。
と、関心を通り越して圧倒されてしまいました。
こんな人はいつの時代でも重宝がられるし、大事にされます。
すごい人だなと感心もされます。
しかし人生かけてこの人についていきたいと尊敬できる人かどうかというと、話は別です。
重宝がられるとは言いましたが、今日は昔ほど貴重な存在とも言えなくなりました。
インターネットが世界を変えてしまったからです。
スマホで検索かければ有力な情報は瞬時に手に入る時代ですし、ヤフー知恵袋に投稿すればすぐこちらの質問に答えてくれます。
情報社会に生きる私たちにとっては知識量より、知識を活かす智恵こそが求められているように思います。
『知識』をどのように活用すれば幸せになれるか、その『智恵』ということになると、今なお混迷を深めていますし、幸せになりたい私たちにとって最も重要だからです。
船でいうならば羅針盤にあたります。
この智慧を磨くことをおろそかにしていると、知識は宝の持ち腐れどころか、悪用されることだってあります。
あらゆる「知識」を的確に活用し、幸せになれるよう導く「智恵」が求められています。
「幸せに生きる智慧」を身につけるために欠かせないこととは
南青山で心理学のカウンセラーをされている方と仏教講座に参加した時にお会いしました。
自衛隊や企業で講習もされている方ですが、
「心理学は山登りでいえばピッケルを与えてくれるが、頂上は教えられないし、自分もわからない」とストレートに言われていたのが、心に残りました。
「プラス思考で生きる」
「強くしなやかに生きる」
「クヨクヨせずに生きる」
「肩の力を抜いて生きる」・・・
様々な生き方本が本屋に並び、識者や成功者によって勧められます。
そしてどのようにしたらそのように生きられるか心理学は様々なノウハウを教えてくれます。
脳医学や行動科学といった学問も同様に、そのためのヒントをいろいろ示唆してくれています。
その知識の習得もとても大事ですが、もっと大事なのは
プラス思考で【○○に向かって】生きる、
クヨクヨせずに【○○に向かって】生きる、
その【○○】こそが大事でないでしょうか。
プラス思考で振り込み詐欺に向かって生きれば、とても勧められた生き方とはならない。
そこはこんな詐欺行為はいいんだろうか、とクヨクヨしてもらわなければならなかった。
どうしたらプラス思考になるか、その研鑽よりどこに向かってプラス思考になればいいか、その吟味こそ優先されなければなりません。
「ここに向かって生きるならば、露命散らしても悔いなし」というはっきりした人生の目的があれば、心理学の本を読まなくてもプラス思考になるし、つまらぬ目の前のことにクヨクヨしている暇はないのです。