こんにちは。小野ひかりです。
人生を真面目に考えるキッカケとなったある女性の手記から幸せとは何かを考えてみたいと思います。
ある日の夕方、電車に乗っていた時のこと。
車内にはかなり多くの乗客が立っていた。
ドア近くのつり革を掴(つか)んでぼんやり窓の外を眺めていた。
しばらくして、斜め後ろのほうに座っていた7.8歳位の男の子が私のそばまで近づいてきて声をかけてきた。
「あそこの席に座ってください。」
男の子が指さす先を見ると、そこはお年寄りや妊婦の方が優先される「優先席」。
男の子がその「優先席」に座っていたらしい。
老人が来たと思って譲ってくれたのだろう。
「優先席」であると分かった時、それまで味わったことのないショックを受けた。
「自分は老人扱いをされるほど老いたのか」と、すぐに「ありがとう」と言葉が出なかった。
あの子はただ席を譲ってくれたというより、もっと深刻な何かをこちらに伝えてくれたのかもしれない、という思いが頭から離れなかった。
これはこの方が60代半ばの時の出来事だそうです。
私が心に残ったのは、最後につづられていた「あの子はただ席を譲ってくれたというより、もっと深刻な何かをこちらに伝えてくれたのかもしれない」という一文です。
初めて年寄り扱いされてこの方は、ぼんやりと遠く眺めていた「老人」が、自分の姿であることを突きつけられたのでしょう。
この一節から、『四門出遊』という、お釈迦さまの出家のエピソードをふと思い出しました。
「老い」を深く見つめられたお釈迦さま
『四門出遊』は、カピラ城に太子として生まれられたシッダルタ太子(のちのお釈迦さま)が、出家される動機になったエピソードです。
太子が東の門を出ると、活気づいた町並みが広がっている。
町を見渡していたとき、太子の目にとまったのが老人であった。
その時、太子は思った。
「哀れな・・・。老いるということは、腰が曲がり、歯は抜け、歩くこともままならず、邪魔者扱いされてしまう。
自由に飛び回りたいのに、老いた身体という牢獄に閉じ込められ、自由を奪われている。今、若きを楽しむ私にも、必ず年老いる未来が来る。私は衰える体を持ち、苦しみ生きていかねばならぬのか」
シッダルタ太子(釈迦のさとりを開く前のお名前)が、老いと病と死を超えた真の幸福を求めて城を出られたのは、29歳の時でした。
そして35歳12月8日、仏の悟りを開かれ、老いと病と死によって妨げられることのない幸福を知られ、80歳で亡くなられるまで、私たちに教え続けられました。
それが「仏教」です。
「老い」の苦しみを深刻に受け止める人とは
老いの苦しみはすべての人間にとって普遍的な苦しみです。
中でも、老いの苦しみを強く感じる人は、若さと美を誇る人たちです。
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身よにふる ながめせし間に」
(小野小町)
六歌仙に選ばれ、百人一首にも登場する平安時代の女流歌人、小野小町は、絶世の美女であったことで知られます。
クレオパトラ、楊貴妃と並んで、世界三大美女の一人に数えられます。
この小野小町の百人一首の絵は、百人の中でも特異なのは、顔が描かれていないということです。あまりに美しすぎて、とても絵では表せないと絵師が思ったから、とか。
さて、そんな小野小町が読んだ歌と聞くと、この歌で「花の色」桜の花に託して詠んでいるのは、「自身の容貌」であったことがわかります。
自分の容姿を「花」になぞらえ、どんなに美貌に恵まれ、楽しい時があったにしても、いつまでもそのままでいられるわけもないことを「花の色は移り」と詠んでいます。
「よにふる」は、「世に経る」と「夜に降る」の掛詞です。
「ながめせしまに」も「眺めせしまに」「長雨せしまに」の二つの意味。
桜の花も、夜、長雨が降ってくると、あっという間に色あせて、散っていってしまうように、私も、美しくいられたのはほんの一時だった。世のうつろいを眺めている間に、あっという間に月日が経ってしまった……。
美しい人が月日と共に老いによって、容貌が衰えていくのは、ひときわ辛いようです。
仏教に『愛別離苦』という苦しみがあります。
愛するものと別れる苦しみのことです。
しかも愛する気持ちが大きければ大きいほど、別離の苦しみも大きいと説かれています。
信じている、支えにしているものが深ければ深いほど、失う痛嘆はますます広が り、深さを増すのです。
ならば小野小町の憂い苦悩が、一通りではなかったのもうなづけます。
現代社会は「老い」との戦いに勝利できるか
縄文時代の平均寿命は約15歳だったそうです。
それは乳幼児の死亡が多かったからですが、たとえ成人しても50歳まで生きられる人は、ほとんどいなかったようです。
ならばあの時代、『老苦』を説く人があっても、大多数の人はあまり実感わかず、幸いにも長生きできた一握りの人だけが共感する苦しみだったかもしれません。
室町時代でも「人生50年」といわれた時代ですから、やはり『老苦』を切実に受け止める人は、そんなに多くなかったでしょう。
自分のことを考えてみても、私はアラフォーですが、「もう若くないなあ」としんみりすることはあるものの、「老いたなあ」とは思わず、深刻な『老苦』は感じていませんから、室町時代の人も『老苦』を実感する人はそんなになかったでしょう。
では翻って現代はどうか。
平均寿命が80歳を越え、歴史上の人類が未だ経験したことのない超高齢化社会を迎えているので、老後貧困、介護、独居、認知症など、身近に『老苦』を実感する機会も増え、人生の切実な苦しみとして実感できるようになっています。
今後もその傾向はますます深刻化していきそうです。
若者は、子供の時から家族や近所で、まざまざと老苦の実態を見せつけられているせいか、「長生きしたくない」と言い出す人も増えています。
さらに今後、医学や科学の進歩により、平均寿命90歳、100歳時代がやってくれば、人生の多くの時間を老苦と向き合わねばならないことになります。
人口減少日本でこれから起きることをカレンダーにした『未来の年表』という本が最近売れていますが、その一部をご紹介します。
○2017年 日本人女性の3人に1人がすでに65歳以上。
○2021年 団塊ジュニア世代が50代に突入し、介護離職が大量発生
○2022年 独居世帯は3分の1超。ひとり暮らしをする貧しい高齢者の急増が大問題に。
○2026年 「認認介護」が急増。介護する側も介護される側も認知症という現実が待ち構える
これからの日本がどんなに大変な時代を生きることになるか、改めて現実を突きつけられる内容でした。
もちろん白髪を簡単に染められるようになり、入れ歯も使わないで済むようになり、整形でシワも取り、車いすも便利になり、介護ホーム、バリアフリー、病院への交通も行き届き、介護法案も考えられてはいます。
しかしそれら『老苦』に苦しまないための人間の努力も、『老苦』の克服とはいえません。
どれだけがんばっても、「老いていく」進路を変えることは、何人も絶対にできないのですから。
医学も科学も政治も、少しでも老いに進むスピードを遅らせようという努力に過ぎません。
先延ばしにする努力です。
必ず、老い衰えていく私たちに、変わらない幸福はあるのか?
では必ず老い、衰えていく方向に進む私たちに、変わらない幸福はあるのでしょうか。
肉体は老いるしかない人間ですが、精神は老いを超え、幸福になれると仏教では説かれています。
老いを超える幸福とは何か、ヒントになる詩を紹介いたします。
「青春」
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意思、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
(中略)
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
(中略)
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。(サミュエル・ウルマン作 作山宗久訳)
“心に夢や理想を抱く限り、人は皆、青春である”とうたったサミュエル・ウルマンの詩は、敗戦後の多くの日本人に、再生の勇気を与えました。
【未来に生きるのが青年、過去に生きるのが老人】といわれます。
『未来』とは、【夢】であり、【理想】のこと。
若者は未来を語り、老人は過去を語る。
若者は将来に夢を抱き、挫折してもまた立ち上がる。
そして果敢に挑戦を繰り返す。
老人は挑戦しない。
「あのころは良かった」が口癖になる。
「最近の若い者は・・・。昔はこんなことはなかった。」
「昔はこうだった。いつから日本はこんなふうに・・」
こういう台詞が自分、多くなってきたな、と思ったら、老いてきた証と思ってよいほどです。
老後、未来を語ろうったって「おれの未来は、病気になって、いつか重くなって、死んでいかねばならなくて、さて、死んだらどうなるのか。。。」
確かに考えれば、憂鬱になることばかりです。
未来に理想を抱けなくなるのも、無理からぬことかもしれない。
心にどんな夢や理想を抱いているか、その心のありようで、青年であるか、老人であるか、決まるといえます。
たとえ七十、八十歳であっても、素晴らしい未来に燃える人は青年だといえましょう。
親鸞聖人は83歳で『愚禿抄』(ぐとくしょう)を著し、84歳で長子善鸞を勘当され、臨終まで、枕元には『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)を置かれ、何度も何度も推敲を重ねられた、といわれます。
ひとえに何百年後、何千年後、末代の我らのために「間違いなく仏教を届けたい」と念じられたために違いない。
限りなき未来に向って、夢と理想を追いかけられた親鸞聖人は【永遠の青年】でした。
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