私は時々ビジネス書も読みますが、ビジネスで成功した多くの人が信念としていることが、仏教のある教えと深い関連性があることにいつも気付かされます。
ブッダが教えられたのは2600年前で、今とは経済も科学も全く異なるのに、情報社会の最先端を行くビジネス界の成功者が口にすることと共通することを興味深く感じています。
その仏教の教えとは、「自利利他」の教えです。
他人を幸せにする(利他)ままが、自分の幸せ(自利)となる、他人も生かし、自分も生きる道が「自利利他」です。
ビジネスの原点を知らされる話
そもそもビジネス・商売の起源は何かを考えてみれば、ビジネスの根底に自利利他の精神がなければならないことが分かります。
あるところに耕作する土地もなく、狩りも下手で、せめて人に雇ってもらおうと、さまざまな村を旅している男がいた。
ある時その男、塩が少なくて困っている内陸の村に立ち寄った。
その後、浜沿いの村に行くと、そこではふんだんに塩は取れるが、米が収穫できずに苦しんでいるとのことだった。そこでその男、内陸の村の米と浜沿いの塩を交換したら、二つの村の人はともに喜ぶのでないか、と思い立ち、尽力したところ、二つの村の村人みんなから、あなたのおかげだ、と感謝され、大事にされるようになった、という。
ビジネスの原点とは何か
この物語の主人公は、二つの村に得をさせ、その仲介をした自分も得をしたのです。
おそらく人類史における最初の商売人はこのようにして誕生したのであり、これは現代を生きるビジネスマンにとっても、変わらぬ精神でなければならないでしょう。
何が足りなくて困っているのか、人々の困ったり、悩んだりしている声に耳を傾け、何か自分にできることはないか、相手を思いやる気持ちがビジネスの原点でなければなりません。
成功への道はビジネスの原点に立っているかどうかで開ける
そしてもう一つ大事なのが情報収集能力。
この二つの村の人にとって足りないものと余っているものとを正確に知ること。
しかし情報収集への強烈な意識は、「思いやる心」から起きるものですから、商売の本質は一つに収まります。
人の苦しみに鈍感な人、人を喜ばせようという気持ちの薄い人が、ビジネスに向くはずがない、と思われます。
商売をしていると、無理もないことなのですが、お金が欲しい、お客が欲しい、という強烈な思いにかられて、どうしたらもっと相手の財布のひもが緩むか、相手にどうやってこちらの商品を認めさせるか、という問いがどうしても先走ってしまいます。
そうなると、どんなよい方法があったにしても、相手の心を動かし、お金や時間や気持ちをこっちに引っ張り込もう、ということになってきますから、相手にとってはおもしろくないですよね。
周りが何を困っているか、何を望んでいるか、それに対し、自分のできることは何かないか、こういう視点を常に持っている人は、みんなから大事にされ、成功する人なのです。
「ほしい」という発想を頭からはずして、どうしたら、この人に喜んでもらえるか、という問いを真剣に考えてみるところから、考えるように努めていったらどうでしょう。
遠回りのように感じますが、堅実に自分も恵まれるようになっていくのではないでしょうか。
松下グループの創始者、松下幸之助は自利利他の精神をこのように言われています。
あなたが世の中に対して提供した、価値の10分の1があなたに返ってくる
「自利利他」を理念としたビジネス成功者たち
近江商人の「三方よし」
全国各地で近江の商人がなぜ成功したのか、その理由は近江商人の「三方よし」の理念にあったと言われます。
「三方よし」とは、売り手よし、買い手よし、世間よし。
売り手も儲かり、買い手も満足し、世間も高い評価をする商売のことです。
室町時代、近江の商人は、蓮如上人から仏法を聞くようになり、自利利他の教えを理念とした商売に心がけるようになります。
人の嫌がる商売をしない彼らは「近江商人は三方よしだ」と、遠隔地の行商先でも信用を集めていき、繁栄していきました。
口で言うほど、「三方よし」は簡単ではありません。
大企業が、下請けの中小企業に取引停止をちらつかせて、不利な価格で叩いて買い取る「下請けたたき」が社会問題です。
大企業も少しでも利益を出すために必死なのでしょう。
中小企業も、大企業との契約を勝ち取るために「背に腹を変えられぬ」とばかりに、安価な不良部品を偽装する事件も起きています。
それで故障が相次ぐと今度は不良部品だったことの発覚を恐れて、大企業と下請け会社が密談の上、リコール隠しをします。
やがてそれが明るみになり、世間中からの信用を失墜し、倒産するという事態は何度も繰り返されてきました。
今もどこかで進行中かもしれません。
「自社も良し」「取引他社も良し」「世間も良し」を貫くのは、口で言うほど簡単ではないので、「三方よし」を貫く商売をする人は目立ち、信用され、愛され、長期にわたって繁栄を遂げることでしょう。
50代の社長が惚れ込んだアルバイトのウエイター
現代社会でも自利利他が如何に大事か、身近な例からお話ししましょう。
以下に紹介するのは、ある50代の経営者の方からお聞きした話で、とても心に
残った話です。
何年か前、友人達と一緒にファミリーレストランに入ったことがあった。
私を含めて七人だった。
メニューに「3ピース」で一皿の「鳥の手羽先」があった。
七人では分けられないので、私は3皿注文した。
すると注文を聞いていたウェイターが「七個でも注文できますよ」と言った。
「コックに頼んでそうしてもらいますから」
彼が料理を運んできたときに、友人の一人が彼にこう訊ねた。
「あなたはこの店でよくお客さんから『うちに来て働かないか』と誘われるで
しょう」
彼はちょっとびっくりして、「はい」と答えた。
「月に一度くらい、そう言われます」
こんな内容でした。
履歴書片手に一生懸命、企業訪問を重ねて自己アピールしても、なかなか就職口
が決まらない人も多いというのに、この深夜レストランのウェイターは、こちら
から頭下げるでもないのに「うちへ来て働かないか」と言われている。
気前のいい社長が大挙押しかけるレストランだから、ということではないでしょう。
この青年のしている、お客さんに対するささやかな心遣いを、ほとんどのお客さ
んは「じゃあ、そうしてもらうか」と言ったきり、あとはウエイターのことは忘
れて、目の前の食事や会話に終始することでしょう。
しかし中には、誰からも注目されない単純な仕事にも、ぼやいたり、くさったり
することなく、常にお客さんの立場に立って「自分のできることは何か」という
視点を持ったこの青年のことを決してほおっておかない慧眼の士が、一ヶ月に一
人くらいある、ということを示す話ですね。
東宝の創業者、小林一三(いちぞう)の言葉のもこんなのがあります。
下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を
下足番にしておかぬ
仕事や生活のなかで「どうしてオレがこんなことやんなきゃならんのだ」「ワタシ、こんなとこにいる人間じゃないの、ホントは」「いっつもオレにこんな仕事押し付けやがって」なんて、言いたくなる気持ちは分かります。
そんなときこそ、この青年ウェイターの話し、小林一三の言葉を思い出して、心の向きを変えていけたらな、と思います。
『自利利他』で、必ずや成功するでしょう。
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