こんにちは。小野ひかりです。
このブログを読んでくださっている皆さんの中には、仏教、あるいは宗教に関心を持っている方もおられるのではと思います。
私が「宗教とはどんなものか」と、初めてアンテナが立ったのはカナダへ滞在した時のことでした。
カナダの学校では、ヨーロッパや他アジアのクラスメイトが、授業で聖書や儒教、コーランを習ったと言っていました。
日本人が仏典を習ったと聞くと特別な環境にいた人だと思いますが、世界には宗教を学ぶことは、ごく一般的な国も多くあることをその時に知りました。
今回は「宗教とは何か」についてお話ししたいと思います。
宗教は私たちに関係があるのか
「宗教」とは仏教から出た言葉です。
「宗となる教え」ということで「人生の根本をなす教え」という意味です。
海外へ行って「あなたの宗教は何ですか?」と尋ねられて戸惑った経験のある人はあるでしょう。
「No religion」と答えると、「あなたは人生において根本の信念を持っていないのか」と不信に思われ、特定の宗教を持たないのは、怪しい人だと見られることがあります。
宗教とは一つの身分証明とする国も少なくありません。
googleなどで「宗教」と検索すると、関連ワードとして「危険」「やばい」「勧誘」「カルト教団」と出てきます。
宗教と聞くと、洗脳されるから近寄ってはいけない危ないものとイメージする日本人は多いのでしょうね。
だからでしょうが「私には宗教はない」と答える人は多いですが、私たちはみんな、何かしら生きて行く上で、自覚しているいないに関わらず、人生の根底となる信念を持っているものです。
「宗教」とよくセットで使われる言葉に「信心」があります。
「信心」とは、何かを信じている、たよりにする、当てにするという意味で、別に神や仏に限ったことではありません。
何かを信じていれば、それはその人の信心です。
「親」や「子供」を信心としている人
「お金」「財産」を信心としている人
「才能」を信心としている人
「健康」を信心としている人
「名声」を信心としている人
「特定の思想」を信心としている人
人それぞれ信じているものは異なりますが「これを手に入れれば幸せになれる」という「信心」を一人一人持っているのです。
宗教を学ぶ上で最も大切なこと
あなたが今、宗教に関心を持ち始めているのだとしたら、苦難困難にぶつかり、自分の人生に真剣に向き合おうとしているのかもしれません。
苦しみや悩みが激しくなるのは、信じていたものに裏切られた時です。
何よりも「家族」を愛していた人なら、
「家族」を事故や病気で失った時に悲嘆に暮れます。
「お金」を頼りに生きていた人なら、
詐欺に遭い、財産を失った時に意気消沈とします。
「健康」を自慢としていた人なら、
末期ガンと宣告された時に絶望します。
「才能」を誇りとしていたアーティストなら、
良い作品を創出できなくなった時に焦燥感に駆られます。
それまで信じて大切にしてきたものが、自分から離れていった時に苦しみの波が襲いかかります。
そんな苦しみ悩みの人生に、本当の幸せがあると教えるのが「宗教」の役割です。
今日は多数の宗教がありますが、人生の根底となる教えですから、その師を間違えるほどの不幸はありません。
昨年、オウム真理教の死刑囚の死刑が執行されました。
死刑囚の中には、東大や早稲田など高学歴の人が少なくありませんでした。
死刑囚の入信動機の手記を読むと、そこには若い時の挫折経験や、社会の中で自分の居場所がない、などの苦悩が書いてありました。
そんな暗中模索の学生時代に、目の前に登場した強い衝撃を持つ人物が麻原彰晃だったのだと思います。
出会う人によって「どうしてこんなことになってしまったのか」と思うくらい人生が変わってしまうことを知らされる事件でした。
仏教には「善知識」「悪知識」という言葉があります。
「善知識」とは、本当の仏教を正しく教える先生のことです。
「悪知識」は、仏教を曲げて伝える人のことです。
仏教はお釈迦様の教えですので、お釈迦様が説かれたことを伝えず、その人の持論を話しているようであれば「悪知識」となります。
キリスト教やイスラム教なら聖書やコーランの内容を伝えていなければ、それは
キリスト教でもイスラム教でもありません。
宗教を学ぶ上で最も大切なのは、その教えを正しく説いているかどうかなのです。
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