「宇宙葬」や「ゆうパック送骨」多様化する供養|仏教の正しい先祖供養とは

こんにちは。小野ひかりです。

日本には、お盆やお彼岸に帰省して先祖供養をする習慣があります。
最近はその先祖供養の事情も変わってきて、「墓ナシ」供養を選択する人が増えてきているそうです。
今回は「先祖供養」について仏教の視点でお話ししたいと思います。

多様化する現在の供養事情

少し前に父から「自分の死んだ後は永代供養にしようと考えている」と聞かされました。

恥ずかしながら永代供養とは何のことか、よく分かっていなかった私は父のいない隙にウィキペディアで調べてみたところ、こうありました。

お墓や信仰を継承する子孫がおらず、死後の供養が期待できない人のために、その遺骨や位牌を境内の共同墓地に合祀し、寺院の存続する限り僧侶が定期的に共同墓地を保守管理することを永代供養と定義する寺院もある。

(wikipediaより)

父が永代供養を考えているのは、おそらく自分が亡き後の供養の面倒を子供にわずらわせたくない、という親心からだろうなと思いました。

父が、自分が亡くなった後まで子供の心配をしてくれていたことに驚きました。

この一件以来、先祖供養の習慣についてよく分かっていないことを反省し、自分なりにインターネットや本で調べるようになりました。

現代は少子化や経済的理由などから墓を継承する家族がなく「墓ナシ」供養という選択肢が増えています。

海に遺骨を撒く「海洋散骨」自然に還る「樹木葬」さらには「宇宙葬」というのもあるのだとか。

「宇宙葬」は、粉末化した遺骨をカプセルに納めて、ロケットに載せ、宇宙空間に打ち上げて散骨する方法です。

また、墓地が近くになかったり行くことができず、遺骨を送骨して供養してもらう「ゆうパック送骨」もあります。

十数年前なら、遺族が亡くなった家族の遺骨はお墓に納骨し、お経を読んで供養するのが一般的でしたが、今は自分の遺骨をどうするか、何かの商品を買うように、自分で選ぶ時代になりつつあります。

「供養」とはどんな意味?

多様化する先祖供養ですが、恩を受けた親にはきちんと供養をしたいものです。

ここで「供養」の意味について掘り下げて考えていきます。

「供養」とは仏教の言葉ですが、死者の霊にお供えをして冥福を祈るという意味は、実は仏教にはありません。

今日、多くの日本人が亡くなった人の追善供養を行うようになったのは、先祖崇拝や葬式を大切する儒教からの影響が大きいのです。

仏教の供養とは、仏様に飲食や花をお供えすることを言い、元来、死者に対して供養する意味はないのです。

それはお釈迦様がご在世の時のエピソードでも明らかです。

亡き人に読経をすると良いところへ浮かばれると思う人がいるのを知った一人のお弟子がお釈迦様に尋ねられました。

「死人の周りで有り難い経文を唱えると、善いところへ生まれ変わるというのは本当でしょうか」

黙って小石を拾い近くの池に投げられたお釈迦様は、沈んでいった石を指し、
「あの池の周りを、石よ浮かびあがれ、浮かびあがれ、唱えながらまわれば、石が浮かんでくると思うか?」と反問されている。

石は自身の重さで沈んでいったのである。そんなことで石が浮かぶはずがなかろう。

人は自身の行為によって死後の報いが定まるのだから、他人がどんな経文を読もうとも死人の果報が変わるわけがない

と説かれています。

仏教では死んだ人にお経を読むのが常識になっているので、お釈迦様が死人を弔うための読経を否定されているこのエピソードには驚きました。

またお釈迦様自身が、死人に対して一度も読経をされたことも知り、葬式法事のためのものとしか仏教の存在を受け止めていなかった私の仏教観は変わっていきました。

仏教の正しい「先祖供養」とは

仏教は死んだ人に説くのではなく、生きた人が幸せになるためにお釈迦様が説かれた教えです。

毎日生きて苦しむ人たちに救いの法を説くのに専念されていたお釈迦様は、追善供養のために読経や念仏を唱えるような法事は一切なされませんでした。

では仏教では、恩を受けた親が亡くなった後、何もしないのか、とどこか冷たい感じに思われる方もあるでしょう。
しかしこれはそうではありません。

仏教における正しい先祖供養とは「親の最も喜ぶことをしなさい」と教えられています。

この答えは、自分が死んだ後に、自分の子供にしてほしいことを想像すれば分かります。

親の立場なら「子供に幸せになってもらいたい」「自分の亡き後も幸せであり続けてほしい」という願い一つですね。

「良い人と出会って幸せな家庭を築いてほしい」
「いつまでも健康に過ごしてほしい」
「前向きに頑張ってほしい」
と願い続けるのが親です。

もし子供が自分のお墓を1000万円で建てると知ったら、その気持ちはもちろん嬉しいですが、それよりもそんなお金があったら、子供自身の幸せな人生のために使って欲しいと願う親が多いでのではないでしょうか。

仏教の真の先祖供養とは「子供たちよ、正しく生きてくれ、真の幸福になってくれよ」という親の最も喜ぶ人生を送ることなのです。

お釈迦様は生きている人が本当の幸せになれる教えを生涯、教えてゆかれた方でした。

まとめ

  • 仏教の供養は、元々、死者に供養するという意味はない。
  • お釈迦様が死人に対してではなく、生涯、生きている人々に教えを説かれた。
  • 真の先祖供養とは親が最も喜ぶことをすること。

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