【法事の悩み】お布施とは?お布施はいくら納めればいいの?

こんにちは。小野ひかりです。

来月はお盆休みがありますね。
年に1回、お盆休みには家族で先祖供養に参られる方も多いのではないでしょうか。

法事の時の悩みの一つに「お布施」があります。
「お布施はいくら包めばいいの?」「どのタイミングで渡せばいいのか」など、明確な目安がよくわかりません。

今回は、私たちの慣習にある「お布施」についてお話いたします。

お布施とは

「お布施」と聞くと、葬儀や先祖供養への感謝やお世話になっている菩提寺への謝礼を思い浮かべる人がほとんどだと思います。
仏教の慣習の一つだと思われてのことでしょう。

私もそう思っていましたが、仏教を学んで本来の「お布施」の意味は全く異なることを知りました。

「布施」とは、六度万行(ろくどまんぎょう)の一つです。
六度万行は六波羅蜜(ろっぱらみつ)ともいわれ、仏教で勧められている「人生を明るく楽しく渡る六つの善」のことです。

「布施」は6つの善の中の一つで、現在の言葉でいうと「親切」のこと。
「布」とは、遍く・広く、ということなので、「布施」は遍く、広く親切をしなさいという意味です。

元来「お布施」とは、他人を喜ばせたり、幸せにする「親切」のことで、葬儀や法事で納める謝礼という意味で使われている「お布施」とは根本的に違うことがわかります。

お布施を勧められる理由

仏教でお布施(親切)を勧められている理由は、お布施をすれば親切をした相手も自分も幸せになれる、幸せの種まきだからです。

ところが「親切」の種をまくのは簡単ではありません。
”親を切る”と書くように、とても辛く難しいことだと、お釈迦様は教えらえています。
親切をすることは善いことだと誰もが知っているのですが、言うは易く、行うは難し、なのです。

ではなぜ親切するのは難しいのでしょうか。

お釈迦様はその理由を、人間の本性は我利我利(がりがり)だからだと説かれています。

「我利我利」とは、我が利益 我が利益と、自分の幸せが先、とばかり考えている人のことです。

名利のために千金を投げ出すは、ヒゲを撫でるよりも易く、慈悲のために一銭を出すは生爪はがるるよりも痛し

自分の名声や利益を得るために大金を使うことはヒゲを撫でるよりも簡単ですが、命の次に大事なお金や時間を、人助けのために投げ出すことは、生爪はがるるよりも痛い、と説かれています。

損をするのは嫌だ、ちょっとでも得したいと、常に損得勘定で動くのが私たちです。

ところが実は「親切する」ことは、損をするどころか、巡り巡って自分の幸せとして返ってくるすばらしい善行ですよ、とお釈迦様は仰せられているのです。

それが分かる事例を一つ紹介いたします。

2011年に東日本大震災が起きた時、世界各国救助隊の派遣や救援物資が届き、感動した日本人は多いでしょう。

しかし、福島の原発問題の深刻さが明るみとなると、撤収をする国が続出しました。

自国の国民の危険がさらされれば、避難の選択を取るのは想像できますし、責められるものではありません。

ところがその中、被災地に踏みとどまり救助を続けてくれた国がありました。その国とはトルコです。

たとえ自分たちが犠牲になっても、という布施の精神で日本人の救助に当たってくれたのです。

この勇敢な決断はどこからきたのかというと、トルコと日本がお互いに布施の心で支え合ってきた歴史にありました。

これまで両国の間にはいくつもの助け合いの歴史がありますが、中でもトルコ人にとって大きな出来事は明治23年のエルトゥールル号遭難事件でした。

これは500名以上が死亡・行方不明となった大惨事の遭難事件です。

オスマントルコの軍艦エルトゥールル号は日本からの帰路、荒れ狂う台風に遭い遭難しました。

遭難現場の紀伊半島の人々は、必死で遭難者の救助にあたり、危険も顧みずに69人のトルコ人の命を救いました。

その日本人の住む集落は裕福な生活ではありませんでしたが、数ヶ月の間、なけなしの食料や衣類を惜しみもなく与えて、言葉も通じない相手に笑顔で介抱したのです。

このニュースを知ったトルコ人は日本人の布施の心に大変感銘を受け、親日感情が一気に高まったといいます。

当時、トルコ人を救ってくれた日本人の布施の精神を、今日のトルコ人の心にも刻まれていて、東日本大震災の時に屈指の救済となり、今度は多くの日本人が心打たれたのですね。

自分よりも相手の幸せを願っての「布施」の行いは、巡り巡って布施をした人の元に返ってくるのだと、お釈迦様は教えられています。

「布施」をする人は他人から好かれ、自然と人や物が集まってくるので幸せになれます。

「布施」は幸せになれる秘訣なのです。

法事の時の「お布施」の意味は

では、法事の時に納める「お布施」は全く意味がないのかという疑問が出てきます。

この答えは、先祖供養の在り方からわかってきます。

お盆などにする先祖供養は、亡くなった人や先祖のためにお墓参りや読経をしますが、本来の先祖供養は、先祖が本当に喜ぶことを私たちが行うことだと、仏教で教えられています。

先祖が喜ぶこととは何か考えてみたいと思います。

一番近い先祖は自分の親です。

親が子供に最も願うことを考えれば、先祖供養に何をすべきかが分かります。

親が子供に願うことは、
「健康で元気に成長してほしい」
「良い仕事に就いて、良い生活をしてほしい」
「良い出会いをして、立派な大人になってほしい」などです。

これらの願いは一言で表せば「子供に幸せになってほしい」という願いです。

もし自分が死んで、子供が1000万円の墓石を建てることを知ったらどうでしょうか。
その気持ちは嬉しいですが、やはり自分の墓石よりも子供の健康や良い暮らしのために、1000万円を使ってほしいと思うのが親心でしょう。

仏教に基づいた法事では、参詣者に仏教の教えが説かれます。
法事は本来、日常忙しい私たちが心を静めて仏教を聞くご縁なのです。
仏教には私たちが本当の幸せになれる智恵が教えられているからです。

法事で、幸せになれる仏教の教えを聞かせていただいたお礼に納める金品が「お布施」なのです。

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