才能のない者がプロの領域に達する方法とは?

ブログを書き始めてみてよーくわかったことを一つ言うと、「私は文章を作るのが下手だ」ということです。

私の文章力ってこんなもんだったのか、と自分にがっかりしています。

なにしろ時間や労力ばかりかかってしまって、やっとこさ完成したものも、読み返してみると分かりにくい。

面白みに欠けるし、歯切れも悪い。

他の人のブログの文章と比較してその差に愕然(がくぜん)とすることもたびたびです。

ブログを始めた当初は、意欲的に関連する本を読んだり、ネットで知識を身につけたりで、うまくいきそうな気がしていたのです。

ところがどれだけ文章をアップしても、あまりの反応のなさにだんだん続けるのに意味を感じられなくなってきました。

そのうち気が散漫(さんまん)になり、何かと文章を書くのを後回しにするようになり、ますます「こんなの続けてていいのかな」と焦りともやもやが続きました。

プロとアマの違いは才能よりも「やり抜く力」

そんなある日、すでにブログ一つをきっかけに起業して今では人も雇っている先輩に「つまらなくなってきた」と相談しました。

アップしている文章を見ていただき、親身に細かくアドバイスしていただいたのですが、特に強調されて言われたことは「まだ見切ってしまうのは早すぎる」とのことでした。

「何より大事なことは継続だ」とその方自身、自分に言い聞かせてきたそうです。

「悩みながら、あれこれ試行錯誤しながら、人から学びながら、なにしろ続ける」ことだと。

プロとアマの違いは、上手くいかずに、もがきながらも、そこを「継続したかどうか」の違いだそうです。

月並みな言葉ですが「継続は力なり」ですね。

身につくまで続けるのは難しいなぁと痛感しますが、難しいからこそ、プロと呼ばれる人は少ないのだろうなと思いました。

車の運転でも、免許取りたてのときは家の駐車場にバックで停車するのもどれくらい時間がかかったことか、何度もハンドル切ったり、戻したりするので、家族をイライラさせたものです。

ところが今では隣の人と話をしながら、他ごとを考えながら、眠気こらえてあくびしながら停車しています。

自動車の運転でも、継続して運転する時間が必要です。

文章を書くのも同じこと。今は免許取り立てバック駐車状態ですが、そんな私にも果たして鼻歌混じりですいすい書ける時がくるのでしょうか。

一昨年、本屋大賞に輝いた『羊と鋼の森』という小説では、ピアノの調律師を目指す主人公が成長していく様が描かれますが、励まされるセリフがありました。

「才能がないかも」とふと思うようなときに、読み返したいセリフだなと思いましたので、備忘の意味を込めて、記載します。

僕には才能がない。
そう言ってしまうのは、いっそ楽だった。
でも、調律師に必要なのは、才能じゃない。
少なくとも、今の段階で必要なのは、才能じゃない。
そう思うことで自分を励ましてきた。
才能という言葉で紛らわせてはいけない。
あきらめる口実に使うわけにはいかない。
経験や、訓練や、努力や、知恵、機転、根気、そして情熱。
才能が足りないなら、そういうもので置き換えよう。
もしも、いつか、どうしても置き換えられないものがある
と気づいたら、そのときにあきらめればいいではないか。

私の尊敬する歴史上の人物、蓮如上人の言葉にもこうあります。

「いたりて堅きは石なり、いたりて軟らかなるは水なり、水よく石をうがつ。心源(しんげん)もし徹しなば、菩提の覚道(かくどう)、何事か成ぜざらん、といえる古き詞あり」

(とても硬いものが石であり、とても軟らかいものが水である。ところが軟らかい水でも、続けて一カ所に落ち続ければ、硬い石に穴が開くことがあるではないか。初志貫徹すれば、何事も成就しないものはない、といわれるではないか)

ブログで目指す目標は、今の私にとっては固い固い石です。

私の軟弱な根性と乏しい才能は、まさに軟らかい水です。

しかしだからこそ「たゆまず継続しよう」と思わせてくれる言葉でした。

「継続は力なり」で今日も頑張りたいと思います。

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コメント

  1. writeessay より:

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    Appreciate it! A good amount of facts.