こんにちは。小野ひかりです。
私たちが特に失敗しやすいのは、苦しい時です。
不幸な時、苦しい時は、気を付けなければいけません。
苦しい時に、追い打ちをかけて自分を苦しませるようなところへ、自らを追い込んでしまうからです。
苦しい時の落とし穴
○苦しい時、腹が立ってきます
イライラが募って、挙げ句の果てに暴言を吐いたり、手をあげたりして、今の立場を失う事態も起きます。
○苦しい時、人を妬みます
「なんであの人ばかり」と、人の幸福が妬ましく、人の成功を素直に喜べなくなります。
○苦しい時、人を憎みます
自分を苦しませる者を「あの人のせいだ」と憎みます。
その結果、余計に苦しみます。
自分を苦しませる者がよくわからないときは、犯人捜しをはじめ、やはり誰かのせいにして、苦しみます。
○苦しい時、大切なものを捨ててしまいます
「こんなにしてきたのにこんな目にあった」となれば、投げやりになり、逃げ出したくなります。あとちょっとで道が開けるところを、今の苦しみが台無しにしてしまうのです。
○苦しい時、何かに依存します
お酒やドラッグに溺れたり、高級品にのめり込んだりして、今の苦しみを一時でも忘れようとします。それがよけいその人を苦しみに追い込みます。
○苦しい時はだまされやすいです
「溺れる者はわらにもすがる」で、早く楽になりたくて、とんでもないものにすがってしまいます。
このように苦しいときには、落とし穴がたくさんあり、気を付けなければいけません。
ほおっておくと、苦しみが転がる雪の玉のように大きくなっていくのです。
これを仏教では『惑業苦(わくごっく)』といいます。
「惑」とは、迷い・惑い・煩悩のこと。
「業」は悪い行い。
「苦」は苦しみのことです。
「惑」が「業」を生み、「業」が「苦」を生む、
そして「苦」が「惑」を生む。
「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒「惑」⇒「業」⇒「苦」⇒・・・
延々と続いていくと教えられています。
苦しい時、人はやってはいけないことをして余計に苦しむ
『惑業苦(わくごっく)』の典型的な事例〜カードローン〜
カードローンで多重債務に陥り、苦しむ人は跡を絶ちませんが、惑業苦の輪が、かなりの回転数で回ってしまっている状態です。
お金が欲しい、困った、どうしようと「惑」の心が起きます。
つい借りてしまう、これが「業」です。
返済が迫られる、これが「苦」です。
その苦しみからまたどうしようかと迷い、「惑」
また借りる「業」
借金がかさむ「苦」
借金の額が増え、カードも何枚も作り、よからぬ金策に走ったりして、そのことで頭を悩ませ、仕事も手につかず、人にも優しくできなくなり、となっていくのが、惑業苦の輪が回っている姿です。
一昔前は借金といえば、家族や友人に頭を下げるなどしなければならなかったり、
あるいは周りの目をはばかりながら、急ぎ足で質屋の暖簾をくぐらなければならなかったので、借金自体ハードルが高かったのですが、今日のご時世、ATMからお金を下ろしているのと同じ感覚でキャッシング=借金という認識さえ麻痺して、しかもリポ払いでいくら買っても払う額が一定と、多額の借金も軽い気持ちになっていっています。
カード会社も、借金を怖ろしくないものといかに思わせるかの方策を次々と打ち出しますから、うっかりしているとだまされて借金している、という状態です。
人気作家、宮部みゆきさんの代表作「火車」には、カードローンで身を持ち崩す人間の実態が描写されていますが、繰り返し語られているのは、出会い頭の交通事故のように普通の人、一般の常識人も、いつカードローンの犠牲者になるかもしれないという実態でした。
「あたし、どうしてこんな借金をつくることになっちゃったのか、自分でもわからない」
「あたし、ただ幸せになりたかっただけなのに」
「夢はかなえることができない。さりとて諦めるのは悔しい。(中略)
そこへ、見境なく貸してくれるクレジットやサラ金があっただけって話」
昔より自制心が試されている時代ともいえるでしょう。
野菜の無人販売のように、お金が店頭に並べられていて、自由に持っていけるような感覚の時代です。
ただしどれだけ持っていったか、こっそり厳しく管理されているので、どれだけ欲しくても、我慢しなければなりません。
昔は返済が滞っても、親族だからいつの間にか利子が増えるということもなく、質屋の場合、入れた質草が返ってこないだけで、厳しい取り立てが始まるということはありませんでしたが、今は深刻です。
苦しい時を乗り越えるキーワードは○○
カードローンを一例としてお話ししましたが、カードローンだけでなく、苦しい時に人間は、やってはいけないことをして余計苦しみを深め、惑業苦の輪を回転させてしまいます。
苦しい時こそ要注意です。
gooランキングによると「自暴自棄になる瞬間」の第1位は、「努力が無駄になった時」でした。
家の都合で進学をあきらめたとか、
怪我をして引退勧告を受けたとか、
起業した会社が立ち行かなくなったとか、
それが人一倍努力を重ねてきた人ほど、喪失感はひどく、
すべてを投げ出して、どこかに消えてしまいたい気持ちになるものです。
苦境に立たされる時、理不尽な思いに駆られる時はどんな人にでもあります。
そんな時は、自分が非常に危険な分岐点に立っていることを、よくよく自覚すべきです。
そこで急斜面を転がり落ちるのは簡単です。
難しいのは平坦な道を歩くことです。
ちゃんと朝起きて、目の前の仕事をこなし、
家に帰れば妻や子供の話を聞き、知人に会えば笑顔で挨拶する、
そうした当たり前の日常をこなしていくのも大変に困難な時ですが、
とにもかくにも忍耐して、その平坦な道を歩き続けること。
やがてその日々の積み重ねが、事態を好転させていくのです。
プラトンは「国家論」の中で
「不幸な時にはできるだけしずかにしているのがいい。短気をおこしても何の助けにもならないからである」と言っています。
二千年の古から変わらぬ人間の実態です。
釈迦は「苦しい時に忍耐せよ」と教えられています。
「忍耐」を幸せの花が咲く6つの善い種の一つと説かれ、「蒔きなさい、幸せになれるから」と勧められています。
人間がダメになるのは「失敗して挫折した時」ではありません。
どんな失敗や挫折があっても、人はダメにはなりません。
その失敗や挫折で「腐ったり、投げ出したりした瞬間」に、ダメになるのです。
腐らない限り、自暴自棄に走らない限り、必ず未来は開けます。
苦しい時の忍耐はやがて人生の財産に変わる
忍耐は、その挫折、失敗を、人生の財産に変えるものといえるでしょう。
映画監督、脚本家、役者、作家、ミュージシャンなど、表現する世界に生きる人
なら、「よし、この経験やこのときの心情を表現しよう」となりますから、間違いなく財産です。
教育界に進む人なら
「いつか失望している人にアドバイスできるように、ここは前向きに乗り越えよう」と自分の資産となります。
子を持つ親なら、
「子供にも、自分と同じような挫折がある時もあろう。そんな時、“お父さんはこうしたんだよ”と、子供に恥ずかしくないような行動をとろう。
子供に“お前もこうするんだよ”と、模範を示せるような決断をオレは今するんだ」
と受け止められます。
一見ムダと思える経験をどれだけしてきたか、実らなかった努力をどれだけ積んできたか、
それもその人の人生の財産といえます。
仏教を分かりやすく学ぶ20回のメール講座。
登録解除もいつでも自由なので、一度お試しに覗いてみてください。