【人は死んだらどうなるのか】仏教はこの問いに始まり、解決で終わる

こんにちは。小野ひかりです。

昨年10月、世界的なベストセラー『「死」とは何か』が日本で書籍化されました。
余命宣告されたイェール大学の学生が”命をかけて”受けたいと願った伝説の講義の内容を一冊の本にまとめたものです。

死の話題はタブーな空気がありますが、こういう本がベストセラーになるのですから、「死」という問題に関心のある人は多いのだなと思いました。

以前、私の友人が「死んだらどうなるのかを考えると、夜に電気を消して寝るのが怖くなる」と言っていたのを思い出しました。
この友人は、若いときに両親を亡くし、それから「死んだらどうなるのか」が気になり始めたそうです。

大切な人を亡くすと、「死んでどこへ行ったんだろう」という得体の知れない闇が、のこされた者の心の世界に侵入します。
焼き場で骨を拾うとき、骨壷をかかえて帰るとき、墓の前にたたずむとき、親の存在がただそこにあるものだけになってしまったとはどうしても思えず、のこされた者の心は故人の姿を求めて、理性とは無関係に、あてどもなく探しまわります。
それでも見つかるものでもなく、その悲しみはひとの心をさまざまな迷路に追いやります。

「人は死んだらどうなるのか」はすべての人が抱えている問題

仏教では「人は死んだらどうなるのか」はすべての人が考えなければいけない一大事だと教えられ、これを「後生(ごしょう)の一大事」とか「生死(しょうじ)の一大事」と説かれています。

「私は一大事だなんて思わない、死んだら死んだときよ」「死を考えたら、今が暗くなるよ」と思う人もあるでしょう。
私も仏教を学び始めの頃は、「自分が死んだらどうなるのか」は気にとめてもいなかったので、一大事と聞いても、ピンときませんでした。

ところが、「死」はどんな人にも100%やってくる未来。避けようのない未来の大問題だから、考えずにはいられない時が必ずやって来ると聞き、それは否定できませんでした。

人生100年時代になっても、死なないことにはなりません。
「生ある者は、必ず死す」
だから「死」の問題はすべての人が抱えているのだよと、仏教では教えられています。

なぜ「人は死んだらどうなるか」が問題なのか

私たちは明るい未来に向かって、今を困難に負けず生きています。

大学受験に合格するために、必死に勉強をする
将来、良い仕事に就くために勉強したり、人脈を広げる
老後を元気に過ごすために、貯金をしたり、健康に気を使う

今、必死に努力をするのは未来の幸せのためです。
幸せな未来を信じているから、今が希望で明るいともいえます。

ところが同時に私たちは知っています。
100%確実な未来が「死」であることを。

万人に待ち受ける未来である以上、向き合わなければいけないはずです。
ところが、多くの人は卒業後や老後は考えていても、死後を考えているという人はあまりにも少ないのです。

「死後のことは、死んでみないと分からないさ」という人も多いです。
「死んだらどうなるか」は太刀打ちのできない問いなので、あきらめてしまっているのでしょうか。

仏教はこの「死んだらどうなるか」ハッキリしない心を大問題とし、これを後生の一大事といいます。
そして、この後生の一大事を解決することが仏教の目的であり、人生の目的であると教えられています。

まとめ

    • 仏教では「死んだらどうなるか」はすべての人が考えなければならない問題だと
      教えられています。

    • 未来が明るいと、現在も明るくなります。未来が暗ければ、現在も暗くなります。

    • 「死んだらどうなるか」の不安を解決することが仏教の目的であり、
      本当の幸せになるのに欠かせません。

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